江戸時代に発行された大判・小判
わが国の金貨 大判・小判
豊臣秀吉の時代に「天正大判」がつくられたのをはじめとして、江戸時代には5種の大判(慶長、元禄(げんろく)、享保(きょうほう)、天保(てんぽう)、万延(まんえん)と10種類の小判(慶長、元禄、宝永、正徳(しょうとく)、享保、元文、文政、天保、安政、万延)がつくられました。小判は日常取引に広く使用されましたが、大判は一般的には使用されず、恩賞(おんしょう)、献上用(けんじょうよう)などの特殊な目的に使用されました。
(金融資料館では、慶長、享保、天保の大判・小判と珍しい天保五両判を展示しています。)
| 金融資料館の見どころ&蘊蓄(うんちく) |
| 天保五両判(中判)と他の大判、小判との違いは |
大名などへの贈答用を主目的とし、非実用的な貨幣であった大判に対して、天保五両判は実用的な貨幣でした。
天保五両判は量目9匁(33.8グラム)、品位は84.29%、寸法は長径8.8センチ、短径5センチで、形状は小判と同じです。
江戸時代後半の文政、天保、安政期などの小判が金の含有率50〜60%であるのに対して、天保五両判は84.29%と慶長小判並みの高さでした。
| 例外的な貨幣「天保五両判(中判)」 |
各時代によって量目の変化は大きいのですが、一般に大判は112〜165グラム、小判は3〜17グラム程度です。
一方、天保五両判は33.8グラム。他の時代を見ても、大判や小判とセットで発行された中判はなく、例外的な貨幣なのです。
| 例外的に天保五両判(中判)を発行した理由は |
天保の大飢饉や大塩平八郎の乱、外国による開国の兆しに対抗した海防等の膨大な費用を、貨幣の改鋳(金の含有量を減らして出目を得る)により対応しました。そして、関西で流通している大金よりも利便性があると判断して、天保五両判(中判)を発行したのです。
しかし、天保五両判(中判)は金の含有率(品位)が84.29と高いものの、質量が9匁と軽いため、一般の評判はあまり良くなく、天保8〜14年の間にわずかの枚数(34,455枚)しか発行されませんでした。
| 小判5枚分の価値がない天保五両判(中判) |
天保一両小判5枚:3匁×56.77%(金の含有率)×5=8.51匁
天保五両判(中判)1枚:9匁×84.29%(金の含有率)=7.58匁
監修:大蔵省印刷局記念館顧問 植村峻氏
|
| | |
|
大金庫室│
お金の世界│
宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行│
戦後の変遷
金融情報ライブラリー│
ATM型来館記念スタンプコーナー│
金融資料館の見どころ&蘊蓄│
ご利用案内
The 77BANK CYBER CURRENCY and BANKING MUSEUM
|