七十七銀行:金融資料館 The The 77BANK CYBER CURRENCY and BANKING MUSEUM


第七十七国立銀行券


五円券

壱円券

1878(明治10)年から翌年にかけて発行された国立銀行券は、用紙から印刷まで大蔵省紙幣局が一貫して製造した国産第一号の洋式紙幣で、壱円と五円の2券種があります。壱円は「水兵」、五円は「鍛冶屋」と、明治政府の方針とする富国強兵(ふこくきょうへい)と殖産興業(しょくさんこうぎょう)をシンボライズした共通図柄となっていますが、発行者名は発行する国立銀行によって異なっています。当「金融資料館」に実物を展示しています。


発行簿と割印
国立銀行券は、発行する時に1枚づつ「発行簿」と紙幣の裏面に割印を押して発行されました。



金融資料館の見どころ&蘊蓄(うんちく)
別格の「貿易銀」
金本位制の「新貨条例」において別格の地位を占めていたのが「貿易銀」です。当時は金本位制論を唱える人だけではなく、銀本位制を唱える人もいたことから、その妥協として制定されたという背景もあったようです。「貿易銀」は、その名が示すように「各開港場貿易便利のため、当分のうち外人民の望みに応じ、通商の流融を資するべし」として「輸出入物品や外国人の納める諸税、通商の取引に用いるのみ」と制限されていました。
当「金融資料館」には、この「貿易銀」を展示しています。
お金はいつから「マル」くなったの?
明治政府は、内外特に外国からの強い要請を受け、純正画一の新式貨幣の鋳造に取りかかりました。新貨幣の形状、価名、名称、品位、金銀比価などについては、江戸時代の旧貨幣的なものが検討されていたようです。例えば、新貨の形状については、「わが国では金銀貨幣を紙に包んで四角い箱に納めているから、外国のようにカマス袋に入れるのとは異なる。よって従来通り角型にすべし」との反対意見がでました。反論、「貨幣の角型形状の歴史は新しい。古来、甲州金は円形で、その後楕円になったのは、慶長以降のこと。四角だと廻し難く、摩損し易い。また、円形であればふところからの出し入れにも便利。今や万国交易盛んで、旧襲の弊を取り除き、彼の長所を取って、わが短所を補い改良をほどこすのでなければ、富国の基をたてることは困難である。加えて、親指と人指し指で円形をつくれば、貨幣であることを了解しない者はいない」、ということで新貨円形が採用されました。(明治4年「新貨条例」の制定)



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