七十七銀行:金融資料館 The The 77BANK CYBER CURRENCY and BANKING MUSEUM


明治政府の通貨制度

明治新政府は旧幕府、各藩の発行した一切の通貨を引き継いだため、その整理安定は最大かつ緊急の課題でした。
新政府は緊急の必要に応じるため、各種の紙幣も発行しました。これらは「太政官札(だじょうかんさつ)」、「民部省札(みんぶしょうさつ)」、「新紙幣(しんしへい)」などいろいろな名称で呼ばれていましたが、いずれも「不換紙幣(ふかんしへい)」(金との引換え・交換できない紙幣)であり、増刷されるに伴って価値は大きく下落していきました。
1871(明治4)年、最初の近代的な通貨制度である「新貨条例(しんかじょうれい)」が制定されました。金本位制を採用することとし、1円=1米ドルでした。
1876(明治9)年の兌換(だかん)義務を廃止した「国立銀行条例」改正に伴い、国立銀行の「銀行紙幣」の発行が容易になり、発行高が増えるに従ってこれもインフレの要因になっていきました。「太政官札」や「銀行紙幣」の増発に伴うインフレの防止を背景に、政府は紙幣整理を急務とし、1882(明治15)年の「日本銀行条例」、1884(明治17)年の「兌換銀行券条例(だかんぎんこうけんじょうれい)」などの関係法案の制定を急ぎました。そして、日本銀行を唯一の発券銀行として、政府紙幣や国立銀行紙幣を回収することになりました。
なお、「国立銀行」といっても国営の銀行ではなく、アメリカの「ナショナルバンク」制度にならった、国の法律に基づいて設立された民間の銀行のことで、わが国では当時「国立銀行」と訳されました。

日本で最初の全国に通用する紙幣
「太政官札」
(だじようかんさつ)
1868(明治元)年
明治政府が1868(明治元)年に発行した「太政官札」(不換紙幣)は、日本で最初の全国に通用する紙幣(政府紙幣)です。
額面は十両・五両・一両・一分・一朱の五種類。額面単位は徳川時代に用いられていた「両」のままでした。
この「太政官札」は、各藩の石高に応じ、13年間のうち返納する条件で1万石につき1万両の割合で貸与されました。



金融資料館の見どころ&蘊蓄(うんちく)
円、銭、厘の誕生
テレビや新聞などによく登場する、円・ドルの為替相場には「円」だけでなく、「銭」も用いられています。明治政府は新貨形状に円形を採用しましたが、同時に「これまで貨幣の価名は、両・分・朱の四進法で、計算上、はなはだ不便である。よって、円・銭・厘の十進法に改めるべきである」となりました。
ではこの円・銭・厘はどのようにして誕生したのでしょう。元々の案は「円」ではなく「元」であったようですが、「円」となった理由については、1. 貨幣の形状を方形から円形にした 2. 造幣機械がイギリスの香港造幣局からの譲り受けで、その表示が「円」であった 3. 二つの事情が重なったなどの説があります。
「銭」については、「銭」が中国では古来銅製の低額貨幣を呼ぶのに用いられていた呼称であったこと、「厘」については、重量の単位、特に銀の計算で「匁」の百分の一として頻繁に用いられたことから採用されたようです。当「金融資料館」には、この円が採用されて初めて造られた「20円金貨」を展示しています。



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