七十七銀行:金融資料館 The The 77BANK CYBER CURRENCY and BANKING MUSEUM


江戸を支える仙台の米

宮城(みやぎ)・仙台は古くから米の産地として知られています。仙台の米は、江戸時代から「本石米(ほんごくまい)」といわれて、100万都市・江戸の人々の食生活を支えてきました。
仙台藩(はん)では領主(りょうしゅ)・伊達政宗(だてまさむね)の頃から藩で米を買い上げて、石巻港(いしのまきこう)を中心に荒浜(あらはま)、塩釜(しおがま)などの積み出し港から、船で江戸・隅田川(すみだがわ)東岸の深川(ふかがわ)まで米を運んでいました。深川のほとりには各藩の米蔵(こめぐら)が立ち並び、仙台藩の米蔵はその中で最大規模(さいだいきぼ)を誇(ほこ)るものでした。仙台の米は、江戸の米相場(こめそうば)を左右するほど影響力(えいきようりょく)がありました。
明治維新後の一時期、米の移出・販売が低迷(ていめい)しましたが、渋沢栄一(しぶさわえいいち)らの尽力(じんりょく)と第一国立銀行の石巻(いしのまき)出張所開設(かいせつ)などにより回復(かいふく)しました。
そして、宮城・仙台は米どころとして現在に至(いた)り、東京の「仙台堀川(ほりかわ)」は今も当時の名残りをとどめています。

石巻より江戸深川までの海路図(部分)
深川正米市場(ふかがわしょうまいいちぱ)

明治初期に建てられたルネッサンス様式の建物。江戸時代から、この建物の西を流れる隅田川、北を流れる仙台堀川の豊かな水運が利用され、川岸には倉庫が建ち並んでいました。1886(明治19)年に渋沢栄一らが同市場を開設したのを機に付近一帯は、米穀問屋の一大中心地になりました。(現在は食糧ビル)



金融資料館の見どころ&蘊蓄(うんちく)
ライス・イズ・マネー
仙台藩の歴代の藩主は新田開発を奨励しましたが、それに拍車をかけたのが「御買米仕法」という一種の金融制度です。これは藩祖政宗が創設した米の専売法で、「御買米金」という準備金を設け、端境期(はざかいき)に無利子で農民に貸付け、収穫期の秋にそれに相当する米を時価で収納する制度です。農民からは米の確実な換金法として歓迎され、「御恵金」とまで呼ばれました。
このように、仙台藩の経済・金融の歴史は、米を中心とした農村経済に依って立つところが大きく、米の増産や運搬のための「貞山堀」、「孫兵堀」、「四谷堰」などの運河、用水路等の施設が建設され、現在でも残っています。1660年前後には、仙台藩からの江戸廻米は年高15〜16万石にも達し、仙台藩は江戸への最大の米供給藩となり、同時に米は藩最大の財源となりました。当「金融資料館」では、上記の背景から第七十七国立銀行が最初の支店を東京に開設したことを説明しています。


(資料協力:仙台市博物館)

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