宮城(みやぎ)・仙台は古くから米の産地として知られています。仙台の米は、江戸時代から「本石米(ほんごくまい)」といわれて、100万都市・江戸の人々の食生活を支えてきました。
仙台藩(はん)では領主(りょうしゅ)・伊達政宗(だてまさむね)の頃から藩で米を買い上げて、石巻港(いしのまきこう)を中心に荒浜(あらはま)、塩釜(しおがま)などの積み出し港から、船で江戸・隅田川(すみだがわ)東岸の深川(ふかがわ)まで米を運んでいました。深川のほとりには各藩の米蔵(こめぐら)が立ち並び、仙台藩の米蔵はその中で最大規模(さいだいきぼ)を誇(ほこ)るものでした。仙台の米は、江戸の米相場(こめそうば)を左右するほど影響力(えいきようりょく)がありました。
明治維新後の一時期、米の移出・販売が低迷(ていめい)しましたが、渋沢栄一(しぶさわえいいち)らの尽力(じんりょく)と第一国立銀行の石巻(いしのまき)出張所開設(かいせつ)などにより回復(かいふく)しました。
そして、宮城・仙台は米どころとして現在に至(いた)り、東京の「仙台堀川(ほりかわ)」は今も当時の名残りをとどめています。
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 石巻より江戸深川までの海路図(部分) |
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深川正米市場(ふかがわしょうまいいちぱ)
明治初期に建てられたルネッサンス様式の建物。江戸時代から、この建物の西を流れる隅田川、北を流れる仙台堀川の豊かな水運が利用され、川岸には倉庫が建ち並んでいました。1886(明治19)年に渋沢栄一らが同市場を開設したのを機に付近一帯は、米穀問屋の一大中心地になりました。(現在は食糧ビル)
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